「作る自分」が強いとき

「作る自分」が強いときのメリット

作る自分」が強いときは、作業の楽しさや、アイデアを思いついたうれしさで、とても幸せな気持ちで作品作りを進めることができます

できあがった作品を見ても、

(我ながらいい感じ!)

と気分がよくなって、どんどんと次の作品を作りたくなります。

クレヨンを渡されたばかりの幼児は、きっとこんな気持ちなんでしょう。

幼児はまだ作品を評価する目、難しい言葉では「審美眼」と言うものが育っていないので、作った作品が全部素晴らしく見えているんです。

はっきり言って幼児が描く絵なんて、客観的に見れば超ドヘタに決まっていますよね!

でも幼児は自分の下手さが自覚できないから、腐ることなくいくらでも描き続けることができます

親も、自分の子供の作品は上手い下手に関係なく褒めますよね!

だから幼児は自分の下手さに気づくきっかけがないんです。

そうやって気分よく描き続けているうちに、いつの間にやら本当に上手くなっていくと、最高ですね!

ことわざで言えば、「好きこそものの上手なれ」という状態です。

子供はほめて育てましょうとか、習い事は幼い時期から始めた方がいいとか、よく言います。

これは周りの子供たちとの比較に晒される前の、自分の下手さがまだ分からないうちに、たくさん練習させてリードを広げてしまおう! という作戦なのかもしれませんね!

となると、「作る自分」が強い方がいいのかなという気がしてきます。

 

「作る自分」が強いときのデメリット

しかし実はここに一つ、落とし穴があります。

作る自分」だけが強くて「見る自分」が貧弱なままだと、

自己評価と周囲からの評価のギャップ

が生まれてくるんです。

自分では、

(すごい作品ができた! みんな誉めそやすに違いない!)

と思って公開したのに、実際にはさほど評価されない・・というケースです。

周りの人に感想を求めると、表面上は褒めてくれます。

でも実際にお金を出して作品を買ってはくれないとか、時間を作って観には来てくれない、ということが起こります。

周りの人たちはこんな風に思っているんです。

(どうやら本人は自信満々みたいだな。気まずくなるのもイヤだし、とりあえず褒めておこう。でも正直、要らないんだよなぁ)

うわべでは褒めてくれるので、本人はどこが悪いのかを知るチャンスがなく、「見る自分」が育ちません。

そしていつしか、

(世の中は自分を理解してくれない!)
(みんなの見る目がない!)

と、周囲の無理解のせいにするようになってしまうんです。(続く)